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【10年GW立山御山谷(オヤマダニ)単独スキー行】
10年GW立山御山谷(オヤマダニ)単独スキー行 日時:10年5月1日(土)9:00〜14:30 天候:快晴、微風 行程:室堂〜一の越〜御山谷〜水平歩道〜黒四ダム 装備:ショートスキー、兼用靴、伸縮ストック、シール、サングラス、日焼け止薬、アイゼン、 羽毛服、オーバーズボン、ヒートテック下着、食料、水、地図、携帯電話、ナイフ、等 昼食:アラレ、チョコレート、チーズ、ビスケット、ナッツ、干し杏、酢昆布、チューブ練乳 【準備】 毎年、GWには山スキーを楽しんでいる。 友人は田舎暮らし併用開始・休日仕事・休み期間合わずで同行者は無く、単独行となった。 富山市内から高岡市内に転勤した二男がいるので、「立山方面」へ必然的に決まる。 二男の仕事が立て込み、片付けが進まないと聞いて、夫婦で向かう事になった。 トレーニングは塩山から柳沢峠往復サイクリング(標高差約1000m)等を行った。 甲斐路サイクリング 盆地の上部は桃の花盛り 好天3日間を予測して、雷鳥沢をベースにして周辺を計画する。 単独行だとテント・コンロ・燃料等の共同装備も全て両肩に掛かる。 最近、腰痛(第五腰椎分離症)と頸椎を起因とした肩痛と手・指の痺れを患い、食料を 中心に軽量化を試みるが、中型ザックが満杯となった。 他に山スキーなどもある。 ザックを背負ってみるが、短時間であれば問題ないと判断する。 室堂と雷鳥沢間は約1時間の距離である。 他に不具合が出ない内に、今行かねば悔いが残る、との思いが強かった。 【天候待ち】 山言葉では、「沈殿」とか「停滞」と言うが・・・。 4月29日、30日は下界では晴れていたが、麓でも強風と俄雨があり、上空に寒気が 入り不安定な天候だった。標高2500m〜3000mでは吹雪であろう。 移動性だが、帯状高気圧の影響で、希に見る好天続きが見込まれた。 【入山】 大型連休初日の5月1日朝5時に地鉄立山駅前のほぼ満杯状態の駐車場に駐める。 駐車間隔の狭い場所だ。 既にアルペンルートの切符売り場が開き、数十人が列している。 観光客が7割、登山者が3割である。 ピッケルとスコップは車に置いておく。 整理券を兼ねた往復割引切符は、10分前に改札口に行けば良い事になっていた。 6時00分の始発ケーブルが立山道の上部除雪作業で1時間10分遅れた。 美女平で高原バスに乗り換え、ザックの荷物券300円を払う。 ショートスキーと兼用靴は各々ケースに入れ、手荷物とする。 ニュースで有名な「雪の大谷」を過ぎると、室堂に8時半頃に着いた。 【日帰り山スキー】 テント等が入っている中型ザック、スニーカーやスキーケースを室堂のコインロッカー (400円)に預け、軽いサブザックを背負い2450mの展望台に出る。 9時頃に1mのショートスキー板にシールを付け、標高差250mを約1時間登り、立山 の稜線の鞍部(コルとも言う)である、2700mの一の越に向かう。 一の越へ続々登る室堂側の登山者 後立山連峰側の御山谷斜面 30cmの新雪も腐り始め、気温が上がる。 一の越まで休み無く登り、大汗をかいて心地よい風と旨い水を味わう。 シールを外し、標高差1250mを滑降する準備をする。 気温がドンドン上がるので、サッサと降りる。 傾斜は緩いが新雪とクラスト(凍った雪)が混じり、緊張しながらも細かく休み、息を整える。 止まる時は、上部を見続ける習慣がある。 何時雪崩や落石が出るかも分からないからである。 ザラ峠への谷が分岐する出会い付近まで、大休み無く降りる。 休憩中の10名パーティーを通り過ぎるが、大きなザックを背負ったその10名に越される。 谷の下部は、雪が腐り始め重たくなり、滑りが悪くなる。 水平歩道との出合いで、滑降は終了となる。 10名パーティーが雪に隠れた水平歩道の位置を左岸に探し当て、登り始めた。 ザックの両脇にスキーを固定し、そのパーティーの後を歩く。 夏道の歩道が所どころ出ているが、補強用の丸太の束が数カ所立て掛けてある。 【事故】 前を歩く10名は、前の5名と後の5名が離れがちになり、歩いている。 疲れが見える6番目の人が遅れているからであった。 途中で抜こうと思ったが、止めにしてパーティーの後を歩いて行った。 仲の良い集団の中に入る事は、気が引けた。 小ルンゼで詰まり、6番目と7番目の人が横断する際に、凄い勢いでルンゼの上部からブロック 雪崩が突然落ちてきた。 規模は小さかったが、その勢いに巻き込まれたら、飛ばされているだろう。 2名は直前で難を逃れ、「ラッキー・ラッキー」と、先に越えた5名から声が掛かる。 後の5名と私は、唖然とした。 これから、その場所を越えなければ、ならないからである。 私は、その後ろ3名の後におり、小さな尾根を巻いた場所にいた。 水平距離で30mくらいの位置だった。そこは安全と思われる場所である。 先の5名から7番目の人を下げる指示が出る。 「前の人と近すぎる。危険だから下がった方がいい。」と 7番目の人が4〜5m下がると同時に6番目の人が歩き出した時、1度目の雪崩から5分も立た ないうちに、2度目の大きなブロック雪崩が突然起きた。水平歩道のすぐ上部の「プレハブ小屋」くらい の大きな固まりが大規模に崩れた。 6番目の人は巨大な固まりの直撃を受け、1度逆さまに見えたが、50mくらい下まで一気に流された。 7番目の人も巻き込まれた。 私の場所から真下には立木があり、直下降できるようだった。 10番目の人に、「ザイルありますか?」 「細引きしかありません。」 何故聞いたか、分からないが・・・。 私はザックの中から携帯電話を出して110番を掛け、つながった。 発信履歴から12時6分だった。 「事故ですか?事件ですか?」 「事故です。ブロック雪崩に2名巻き込まれました。」 「場所は何処ですか?」 「今、ザックから地図を出します。御山谷から水平道を10分歩いた小さな谷です。」 場所の確認を何度も受け、10名パーティーの団体名を聞かれたが、その時点で7名の男性は、救助に降 りておりていて、団体名は不明であった。 こちらの携帯番号を伝える。 ルンゼの先には女性1名がおり、携帯電話は持っていなかった。 その女性の位置から上部からの雪崩発生を監視し易く、大声で知らせる様に伝える。 事故発生から約10分後だろうか、3度目の小規模のブロック雪崩が起きた。 「逃げろ!逃げろ!」と、私も大声で怒鳴る。 蜘蛛の子を散らすように、救助者達が飛び退く。 二次災害は起きずに済んだ。 スコップで掘り起こす姿が2カ所で見える。 雪の中から2名を救助し、心臓マッサージを続けている。 同時に、二男の勤める新聞社にも連絡した。 「できる事ならヘリからの救出写真を撮ってほしいのですが。」、と言われた。 立木が邪魔しており、ルンゼの方向に進まないと撮れなかったが・・・。 「通報などで携帯の電源が少なくなっていますが、撮ってみます。」と返す。 12時54分、救助写真を二男経由でメール添付送信した。地方版に掲載された。 青いヘリ(富山県警のツルギ)に 仲間達が運んでいる。 現場を別のパーティーが横断中。 後続の別のパーティーがやって来て、先に行きたいと言い出した。 「たった今、雪崩れた場所ですよ!下を迂回下さい。」と強く諭す。 渋々、従ったパーティーだった。 1名の方は意識が戻り怪我で済んだが、1名の方は残念ながら・・・。 私も迂回して、救助後のパーティー達と言葉を交わす。 住所・名前を聞かれたが、「当たり前の事ですよ。」と返す。 とても、キャンプする気が起こらず、黒四ダムから室堂に戻り、荷物をまとめ日帰りする。 立山駅の車のバンパーに傷があり、接触事故後に駆け付けた上市署のメモがあった。 山の事故で話をしていた山岳警備隊も上市署が拠点であった。 19時、上市署で山の事故の確認取材に来た二男に合う。 一歩間違えたら、我が身に起きた事故でもあり、山スキーを計画中の友人達に伝える。 黒部平(ケーブル駅)からタンボ平の斜面。------------------------------------------------------------------------
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