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【狭山湖廃線跡】
花粉を運ぶ風も弱く、穏やかな土曜日なので、狭山湖へ輪行で出掛けた。 輪行とは、自転車を折りたたんで袋に包み、電車に持ち込む事。 帽子・サングラス・二重のマスク・ナイロン製の上下着で完全防備し、テッシュと目薬を持参する。 朝遅く11時頃に、最寄り駅に向かうが、今日はパリーグのシーズン開幕日であった。 狭山湖へは「西武球場前駅」で下車するが、球場名は「インボイスSEIBUドーム」に変わった。 下車駅の混雑を見込んで、車両の中央付近に乗る。 まだ肌寒い季節だが、開幕を待ちわびたファンで、駅前は一杯である。 駅脇の人影で素早く自転車を組み立て、コンビニに向かう。 駅前のコンビニには「ビール」はなく、西所沢方面に300mほど下り、別のコンビニで仕入れる。 駐車場の呼び込みのオバサン達が、仕事に夢中になり車を見ながら旗を振るので、自転車に気が付かない。 旗で殴られそうである。 狭山湖(山口貯水池)の近くに、「玉湖神社」がある。 コンクリート製の鳥居には、昭和10年とある。 同じくコンクリート製の社殿があり、脇には小さな殉職者慰霊碑が2つある。 堰堤工事の殉職者である。 神社近くの道路下に、小さな「トンネル」があるが、立ち入り禁止の柵があり、入れない。 約75年前、狭山湖の堰堤工事時に造った、土砂・石材等の資材運搬の軽便鉄道の跡である。 幅3mほどの廃線跡が、多摩湖(村山貯水池)側の斜面を、グルリと巻いている。 神社裏の日当たりの良い所で、ビールタイム。 そこから、廃線跡の盛土が見える。 往時の軽便鉄道が走る姿を想像する。 蒸気やディーゼルやガソリン駆動の小機関車が、砂利を満載したトロッコを牽引してエッチ ラ・コッチラと多摩川から丘を越え、トンネルを潜っていた。 資料では、東京の水不足対策のため、昼夜間工事を繰り返して4年間で完成したとある。 「かたくりの湯」の先に郷土資料館があるが、4月1日リニュアルオープンで休館中であった。 ここで、軽便鉄道の資料を購入できる。 「・・・の湯」の奥に、かたくりの群生地があるが、花もまだ早かった。 東屋で、次の缶を開ける。 登り返して、多摩湖自転車道路を行く。 閉鎖中の5号トンネルの上部は、富士講の神社がある。 鳥居までの尾根から右に山道を下ると、5号トンネルに着く。 今は自転車と歩道専用道の、赤坂・御岳・赤堀・横田各トンネルを抜け、横田基地方面に走る。 当時苗木を植えたのが、時代を経て太い立派な桜の並木となり、直線路である。 欅が根元から何本も生えているが、昔に臼にでも作るために伐採した名残である。 自転車の走る速さと目線が、機関車の運転手の目線と、ほぼ同じである。 所どころ並木道が広がる場所があるが、列車の交換所と思われる。 旧青梅街道や新青梅街道を横断し、残堀川を渡る。 横田基地の手前、IHIの研究所で自転車道は途切れる。 地下の導水管は、羽村方面に伸びている。 行きと帰りでは景色が変わるので、戻ることにする。 再び、5号トンネル上部の多摩湖自転車道に上がる。 夕暮れ近くになり、気温も下がる。 東村山浄水場までも、自転車・歩道専用を走る。 友人のN宅に寄り、次回のスキー計画を企てするよう頼む。 花粉の中を走り続けて早く風呂に入りたいので長居せずに帰り、久米川駅から輪行とした。
一直線の桜並木の廃線跡 玉湖神社裏の廃線跡
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