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【今年最後の山行】







日時:12月18日(土)〜19日(日)
場所:奥多摩 三頭山、笹尾根
行程:数馬〜三頭山避難小屋〜山頂〜笹尾根〜浅間峠〜上川苔〜本宿

昼前に出掛ける。五日市駅発13:18に乗らねばと、焦った。
乗り継ぎが良く30分も早く着いて、バス停でパンとビール。
数馬から高低差が約800m。枝落としした枯れ木から、杖になりそうな1本を選ぶ。
12月から2月まで、都民の森へのバスは運休している。
騒がしい道路を避けて、登山道を行く。
綿毛を一杯付けた樹木があるが、名前は不明である。
すれ違う人から、「何処まで」と聞かれる。
こんな時間から、登る人は「奥多摩」でも少ないらしい。
避難小屋が見える辺りから、ガラス窓に明かりが点いていた。
小屋に着くと、誰もいなかった。
夕日が窓越しに透視して、「電気が点いた」様に見えた訳である。
電気もない小屋である。
但し、太陽光電池パネルがあるが、トイレとかに使っている。
富士が正面に見える、絶景ポイントに建っている。落日まで外で見ていた。
夕餉は、貰い物の「モツ煮込み」「餅」と「味噌田楽」で、しそ焼酎のお湯割り。
小屋日誌を読むと、何処かの高校山岳部員が先々週に来ている。
「従走」を縦走と訂正してあげる。
今日は、ラジオもケータイもないので、直ぐに寝る。
座布団を敷いて掛け布団の間に、羽毛シュラフを入れて潜り込む。
足が暖かく、良く寝られた。ケータイを時計代わりにしているので、時間が判らない。
「3〜4時間置きに目が覚める」ので、時計代わりにする。
夜中に2度起きても、まだ暗い。赤飯とおでんを3時頃と思われる時間に食する。
杖の皮をナイフで剥く。なかなか良い感じの「水戸黄門の杖」に仕上がる。
コーヒーを飲んで、また寝る。東の窓が薄明るくなった。6時頃である。
東京の日の出は、6時半頃。富士は、「赤富士」にならず、ぼんやりしている。
朝日が差しだした。7時過ぎである。
朝一番で、ある物を探そうとしている。
それは、今から37年前に遡る。新人のトレーニング山行の話は、以前に書いた。
山頂で捨てた、コンクリートブロックを探そうとしている。
三頭山は、山頂が3つある。東峰が一番「鞘口峠」に近い。
山頂が狭かった記憶がある。避難小屋から各山頂を廻るが、東峰を注意深く探す。
ブロックだと思ったのが「四角い石」だったり、なかなか見つからない。
東峰の展望台近くで、大木の下に一つだけ、あったのだ。
ブロック特有の「穴」がある。半分埋まり、苔が付いて、風化している。
ボロボロと小粒の石に崩れた。ビニールの小袋に、その小粒の石を土産にする。
山の同期仲間にも分ける為に、少し多めに入れた。

2Lの水が少なくなり、水場に向かうが枯れていた。
昨日、沢沿いに来た道の脇から沢に降りる。1.5L入れる。
昼用に餅も焼いておいた。
行動食は「煎餅」「ジャムサンドクッキー」「一口饅頭」他である。
これから、笹尾根伝いに向かう。起伏の少ない、静かな尾根である。
大沢山を越え、槇寄山で休む。富士山側も奥多摩側も眺めが良い。
猟犬2匹を連れた老人が来た。派手な蛍光色のチョッキを来ている。
次に中年猟師が2人。
更にとても猟師に見えそうもない、太った1人が汗をかきながら来る。愛想は良い。
西原峠に、若い猟師もいる。聞けば、先の老人が「勢子」で一番足が達者との事。
数馬からの仲間と、一斉に追い上げて、「熊」「鹿」「猪」を待ち受けるらしい。
私は、黄色いバンダナを被っているが、獲物と間違えられない事を祈る。
登り坂を駆け足で来る、黒ずくめの服の30代が来た。
「上川苔」からで、「大岳山まで行くんでしょう?」に「うん。」と喘ぎながら答える。
「ハンターがいるんで、派手な何かを身につけた方が・・・」と、伝える。
この道は、「耐久レース」のコースでもある。
「山と渓谷」誌に特集記事が載る事もある。
笛吹(ウズシキ)峠や、丸山を過ぎて、尾根上で焚き火をやっている3人がいた。
先の猟師達と、チョッキの色が違う。
「数馬の方にも、いましたよ。お仲間ですか?」
「いいえ〜。彼らは根性が曲がっているんだ。」と、冗談を言うリーダーぽい人。
「えっ、向こうでも同じ事を言っていたよ。」と、受ける私。
上野原側から「猪」を狙っているとか。畑を荒らしている。
尾根道の両脇を、鍬で穿ったような跡や、樹木の盗掘跡のような大穴も「猪」とか。
「面白いんだなぁ猟は。山を歩いているばかりでなく、鉄砲でも持ちなよ。」
「いや、今からとてもとても。山芋掘りは、やるんだ。」
焚き火を当たりながら、馬鹿話をしていると、無線が入る。じゃーと、別れて先に行く。
小木岡(コユズリ)峠や土俵岳を越え、初老の女性が両手にストックを持って来た。
またもや、「ハンターがいますよ。」と伝える。
道祖神がある日原(ヒバラ)峠を越え、甲武トンネル上をまたぎ、浅間峠に着く。
大荷物の2人が休んでいる。何度目かの間食の昼食を取る。2人組は降りた。
陽差しから、昼前後である。ひょっとしたら、午後になったかも知れない。
時間を聞くのは、遠慮した。「なんだ時計もないのか、非常識だなぁ」と思われる。
生藤山から陣馬山は、次回とする。左膝が痛くなり、秋川側に降りる事にする。
下り道で、村の「チャイム」が鳴る。正午だった。バス停に12:15に着く。
五日市行のバスの時刻がなんと、15:27。3時間後である。
地図を見て、本宿まで6〜7kmなので、歩く事にする。2人組も。
2人組は忘年会登山であった。2日酔いと大荷物で足取りが遅い。
本宿に14時前に着いた。バス停に爺さん1人いる。まだバスは来ないらしい。
13:59と時刻表にある。数分後に千足方面からバスが来た。




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