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【佐渡再訪記】






日時:平成25年5月2日両津AM12:00発〜二ツ亀PM15:30着、3時間30分
3日二ツ亀AM04:40発〜両津AM11:40着、7時間、計10時間30分
行程:湯沢⇔新潟⇔新潟港⇔両津〜二ツ亀泊〜大野亀〜外海府海岸〜尖閣湾〜相川〜両津
距離:佐渡島北側海岸線一周、折りたたみ自転車で約108km走行。平均時速約10km/h
主峰:大佐渡山地、最高峰1172.1m金北山、小佐渡丘陵、最高峰645.8m大地山
閉鎖:大佐渡スカイライン、佐渡縦貫線ドンデン峠越は除雪進まず、通行止め

【23年前】
平成2年の夏に山の友人達と家族、計18名・車6台で、直江津〜小木〜相川〜二ツ亀〜両津〜新潟の
行程で佐渡島に渡った。
前年、長岡大花火・笹川流れキャンプに続き、新潟を好む企画者の的氏と、古氏、長氏、三氏、清氏で
直江津市内のスーパー駐車場を集合地にして、6台が集まった。
四級船舶免許を取得した三氏は、超小型の船外機付組立式ボートをドミンゴに積み込んでいた。
佐渡の海岸沿いの集落は、寂れた背の低い木造平屋で黒瓦屋根が印象的で、日本海の厳しい季節に耐え
る人々の生活を想像した。
大野亀から二ツ亀付近は、集落もなく一転して風光明媚な景勝地であり、宿泊は二ツ亀のバンガローで
あった。
長いドライブで退屈した7歳の長男は、海を見に坂道のジャリ道を走り出し、案の定転んだ。
膝に裂傷を負って、両津市内の病院で3針縫った。
往復3時間後にバンガローに戻ると、今度は長氏の奥さんが包丁で指を切り、廻りで「大変だ!」と騒
ぐと、血を見て貧血を起こして倒れ、柵に脇腹を強打した。
長氏は、両津市内の病院へ連れて行き、肋骨1本ヒビ(東京で再診すると更に1本追加)との診断を受
けた。
流人の島の祟りでは無いが、企画者の的氏は「3度目が出ない様に」と皆に釘を打った。
海に入れない長男を怪我した奥さんに預け、皆と綺麗な海で泳いだ。
公園の手漕ぎボートと同じ大きさのエンジン付クルーザに乗り込んだ、三氏船長は釣り三昧。
但し、釣果の記憶は私には無いが・・・。

【再び佐渡へ】
湯沢から在来線で新潟までは約3時間を要し、
朝出ても両津には15時過ぎに到着となる。
割引のあるSキップ往復7100円で新幹線を利用すると、
両津着は12時前である。
自転車は輪行袋に入れると、手荷物扱いでフェリー
片道運賃は500円を追加し2940円。



9時25分発、おおさど丸(5373トン、竣功25年経過、2本エントツ)は約1/3の乗船率。
出航時にドラの音が鳴った。
佐渡に近づくが、標高約500m以上は雨雲で見えない。
両津のアーケード街で焼きそばを食し、向かいのパン屋でハムカツサンドとシュークリームを買う。
6kg減量済みだが、体力重視で暫しダイエットは中断とする。
裏通りの両津夷(リョウツエビス)で「2の市」の露天を覗く。
野菜や盆栽が多い中、珍しいものを見つける。
鯛焼きや大判焼きならぬ、「栗焼き」の露天で、先客が8個で560円支払っていた。
「2個おくれ。」と私。
「遠慮しないで、ぎょうさん食べたら。」と、ねじり鉢巻きで70歳くらいの痩せたオッサン。
「さっき昼飯食べたばかりだよ。」
「俺は、まだなんだ。」と、会話にならない返答に、ちょっと黙ってしまう。
「餡はあずき?」、「そうだよ。」とねじり鉢巻き。
140円払うと、10p大の暖かく膨れた2個の湯気で小さな白い紙袋が湿ってきた。
港が見える海岸沿いの細長い公園に入り、東屋のベンチでハムカツサンドと栗焼きを食す。
栗焼きの生地は黒糖入りで茶色、餡にも黒糖入りで、甘過ぎるが旨い。
手作りパン屋のサンドウィッチは旨かったが、シュークリームはバタークリームで・・・。
佐渡一周線の県道45号線を北上するが、振り返ると「姫崎」が何時までも見える。
黒姫大橋を過ぎると、やっと見えなくなる。




                                    

二ツ亀への23年前の記憶は集落を必ず抜ける道路であったが、今はバイパス的に海岸を橋や
歩道付2車線ができている場所が多い。
新しくできた、長い「内海府トンネル」や「虫崎トンネル」で抜けるのは、登り坂より断然楽である。
4月30日に低気圧通過、5月1日は冬型気圧配置、今日2日も余波で風が強い。
島影になる東面のこの道でも、多少西風の影響はある。
小雨が続き、下着に上下ヒートテック、上下トレーナー、ゴァ雨具上着、暖パン、
手袋を身に付けても、ジンワリ濡れて来るし、汗もかく。
還暦祝いで長男夫婦より赤い線のブランド物の財布と、二男夫婦より赤いゴァ雨具XLサイズをもらい、

今ともに身に付けている。
ルリカケスかカワセミらしい鮮やかなブルーの野鳥が、竹藪に潜んでいる。
二ツ亀からの両津行きのバスと初めて、すれ違う。
鷲崎集落への長い登りを越えると、今夜の寝床の二ツ亀には15:30に着いた。
島影を越える西風が強い。
昨年リニューアルしたSADO二ツ亀ビューホテルのフロントでテント代840円を支払う。
二ツ亀が見える芝地の林に小さな天幕を張る。
風が強いので、自転車を畳んで中に入れ、重し代わりにする。
地ビールで祝杯を挙げ、熱いラーメンを啜る。
人心地が付いたので、ホテルの大浴場に行く。
「23年前に来たのですが、バンガローありましたね。」
「以前に全部撤去しました。」と支配人。
更に、「今、キャンプする人が減ってきたのです。」と・・・。

俺たちキャンプ好きは、少数派(マイノリティ)になっているのか?
女性の発言力が高まり、また裕福になり、快適で便利で清潔で美食で軽量で速さを好む傾向だ。
5月のキャンプは多少寒いけど、快適さの価値観の違いはあるが、人が少なくて快適である。
何処でも寝床が作れる便利さはある。
日帰り温泉もあるし、清潔になる。
食欲旺盛だが、旨い物は下界(街)で食べれば、良いではないか!
軽量では無いけれど、軽量化はできるさ。
夜明けと同時に早朝出発できるし、自分の都合で移動もできる。
サイクリングでも、軽量のロード車が多く、殆ど荷物なしで飛ばしている。
事故も多いと聞く。
雨の40km走行でフルブレーキ、とても止まれない。
下り道は慎重に大胆に降りている。
今回の旅でも、10台くらい「旅の自転車」を見たが、荷物有りは3台しかいなかった。
自転車のトラブルで民宿やホテルに辿り着けない、宿の予約が取れない、
道中に宿が無い等の場合、その旅を諦めてしまうのかい?



今回、小ザック2個に必要な荷を詰め、ハンドルに固定した。
リアの荷台は外した。
ザックの中身は、
2人用テント、半身用エアーマット、ゴアのシュラフカバー、封筒型インナーシュラフ、羽毛ソックス、
軽量羽毛服、ガスコンロ、ガスボンベ、着替、ヘルメット、携帯電話、サングラス、地図、磁石、
アルミ製水筒、500mlペットボトル、食料、間食、非常食、地ビール、ビニール製輪行カバー、肩バンド、餅網

入湯料500円で展望大浴場に入る。
大きなガラス窓で眼下に二ツ亀を望む。
40歳台の先客1名に、
「絶景ですね。」、「そうですね」
温泉では無いが、湯を浴びてから湯船に浸かると冷えた身体に心地良い。
「最高ですね。」、「そうですね」
会話少なく、湯を楽しむ。

地ビールの空き缶に窓を開けて、百目ローソクを入れると、アルミの壁面に光が反射する。
明日の帰りフェリー出航時刻を12時40分と決める。
羽毛ソックスを履き、羽毛ジャケットを着てシュラフに潜り込む。
寒くはないが、夜半に風が収まる。
3時30分に起き出して、コーヒー・ラーメン等を食す。
4時40分に薄明るくなった、二ツ亀を後にする。
大野亀の遊歩道の展望台で、奇岩が連なる島の西側を探る。
海岸淵まで一気に下ると、3つの手堀りトンネルを潜る。
海からの浮遊物が打ち上げられているが、報道が続いている北朝鮮の兵士らしきは無いようだ。
僻地の集落の老人が海岸の見回りしているので、朝の挨拶をする。
海府大橋まで台地を登る。
イタチ科で全身金髪のテン1匹ずつ2回遭遇する。
10数キロ先の入崎キャンプ場から来たらしい、若き小径サイクリストとすれ違う。
海府大橋からは、海岸線まで下る。
真新しい住宅は殆どなく、以前と同じ平屋で黒瓦。
学校は廃校となり、別の施設になっている。
平地が少ないので、道路脇に墓地が目立つ。
「先祖代々」との墓石が多いのは、嫁いで姓が変わった家系でも、墓守する為だろうか。
この時期は水仙が咲き誇るが、墓花として供えている。
岩谷口から相川方面へバスが1時間に1本は出ているようだ。
「禿の高トンネル」や「大倉トンネル」を抜けて、入崎キャンプ場に7時頃に着いた。
佐渡で一番長い1911mの「南片辺トンネル」を抜けると、観光地である尖閣湾も近い。
戦前に「尖閣湾」と命名されたそうだ。


「海中透視船」の看板も目立つ。
湾が見渡せる台地の小岩で休憩し、9時に発す。
田に水を入れて耕し、ビニールハウスから苗床を出して軽トラで田に運ぶ。
皆、一斉に田植えをする。
大佐渡山地の稜線は雪景色。
相川に10時に着くと、やっとコンビニがあり、日帰り温泉もあった。
乗船時間もあるので先を急いで、「中山トンネル」まで最後の登り坂、下ると真野湾だ。
窪田で長かった45号線を分かれて、350号線に入る。
バイパス道路に大型店が連なるように両津まで、今までの寂れた雰囲気が一新する。
佐渡市役所、佐渡空港を過ぎると、加茂湖が見えて両津も近い。
11時40分に両津港に着いた。

佐渡の自転車に対する車両のマナーが自転車側から見て、大変ありがたい。
路肩が狭い事もあるが、脇をすり抜ける車両は皆無である。
中央分離帯の凹凸を越えるタイヤ音がすると、反対車線を大きく越えて自転車を追い越す。
反対車線の車両が少ない事もあるが、本土からの車両も含めて大きく追い越す。
反対車両が続いたある時、歩道もなく路肩走行していたが、自転車の速度で100mも追従した。
歩道が現れて自転車を歩道に乗り入れると、トラックが追い越した。
都会では、あり得ないマナーである。

23年前と比べて、道路改修が進んでいる。
集落をバイパスで迂回し、トンネルで狭い岬の旧道を短絡している。
但し、岩谷口と二ツ亀間のバス便は無いし、道路巾も狭い。
集落はあるが少なく、商店もなく大変不便である。
年寄りでも、軽トラを運転している。
屋根が落ち、朽ち果てた廃屋も目立つ。
限界集落なのである。
狭い田畑を耕し、残った年寄りがひっそり暮らしている。

フェリーターミナルビル2階に荷を置き、3階の海鮮横丁へ。
アルバイトの高校生らしき女の子達が、「お盆と小皿をお持ち下さい。」とマニュアル通り。
ここで食べるか否か、思案中なのに。
海鮮の中で、どれが新鮮なのか?
その女の子に、「今朝、取れたものは何?」と聞くと。
「え〜。」と発し、白衣を着た板さんに「どれ」と聞いていた。
「ヤリイカです。」と、板さん。
と言う事は、他の魚は昨日以前である。
500円のイカソーメン皿を取り、レジで瓶ビールはサッポロ地ビールを頼む。


広い席があるが、港の見える席で祝杯、旨い。
ヤリイカは、ラップを剥がし山葵を付けて醤油を付けると、新鮮で旨かった。
特に、エンペラ部はコリコリしている。
セルフサービスで片付ける。
「あら汁」などは無く、「蟹汁」だけなので、2階の蕎麦屋で「ながも蕎麦」を頼んだ。
「ながも」の正体は海藻で、ヌルヌルしている。
関西風出汁で、蕎麦は冷凍物を湯で解凍。
冷凍物の方が良い場合がある。
JR駅ソバの「あじさい」では、冷凍物から茹で物に変えて味が落ちた。
下界(街)の味は旨かった。

大勢の客を降ろした12時40分発おけさ丸(5862トン、竣功20年経過、1本エントツ)に乗る。
船長から、再訪願いの放送が流れた。
「おけさ丸船長の○○です。佐渡は、沖縄に次ぐ観光島です。是非、・・・。
沖は、風速10mで波は少なく、揺れも少ないので、ご安心・・・。」
飛行機のパイロットの様に、ハッキリとした落ち着いた声であった。
今度は、南側を一周しよう!
船腹のデッキに並んだ椅子で、果汁入り酎ハイで祝杯の続き。
乗船客が、かっぱえび煎を投げると、カモメが群れる。
猛禽類が混じっていた。
つまみのゲソ足を投げると、凄い速さでカモメを押しのけ、飛んでくる。
約2mの間近で、野生の猛禽類を見るのは、興奮する。
「ハリーポッター」映画の様な速さで、反転・急降下・急上昇する。
小学生2人の親子連れに、つまみを渡すと、喜んで投げてくれた。
あとは「カリントウ」しかないので、2p大にして投げると、これも食べる。
ベーコン入りコッペパンを買って、カラシの付ベーコンを外して、投げる。
客の餌投げが尽きると、佐渡へ帰る鳥の群れ。
2時間30分の乗船時間が短く感じた。



湯沢には16時38分定刻到着。
その後、町内の温泉場で体重を計ると、1kg増加していた。



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