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【大岳山】





大岳山

 奥多摩連山で、遠くからでも一目で「その山」と判る山である。
奥多摩縦走路の東側に位置しており、近くにケーブルカーがある為か、入山者も多い。
御前山から三頭山・笹尾根・生藤山・陣馬山・高尾山と歩いて、何時も「気になる」山であっ
た。
今回、境橋から入り、御前山・鋸山・大岳山・御岳山・日ノ出山を経て、日向和田に下山した。

日   時:平成17年2月12日(土)
天   気:快晴のち曇
コースタイム:境橋バス停・・・・・・・08:30
      御前山非難小屋・・・10:30
      大岳山・・・・・・・・・・・12:45
      御岳山・・・・・・・・・・・13:30
      日ノ出山・・・・・・・・・・14:40
      二股尾分岐・・・・・・・16:00
      日向和田駅・・・・・・・17:00

最寄り駅から下り2番電車に乗り、奥多摩駅に07:46に着いた。
峰谷行のバスは、07:50発。
奥多摩駅の売店は開いておらず、今回は「酒」抜きになりそう。
昨夜、用意した「つまみ=牛角のキムチと納豆(青海苔とおかか付)のタッパー入れ」を冷蔵
庫に入れて置いたが、忘れてしまうし。
タオルも忘れ、汗は「軍手」をタオル代わりにする始末。
フリースの手袋は、車中で新聞を読んだ時に外して脇に置き、青梅駅の乗り換えで忘れ、回送
電車は行ってしまうし。
真冬に手袋なしは「無謀」なので、青梅駅前のコンビニに行き、あったのは「軍手」であった。
出だしが悪いので、「自嘲せよ。」との信号かも知れないが・・・。

バスの車内は、何時も通りオジサン・オバサンばかり。
境橋で一人だけ降り、林道を歩く。
途中から登山道もあるが、凍結しており、除雪してある林道を行く。
3台車が、追い越して行った。
都民の森あたりから、北面なので雪が多い。
但し、踏み跡があり、歩きやすい。
滑りやすい場所は、「蹴込み」で越す。
30数年前のロングスパッツを着ける。
後ろチャックなので、太った体をねじると、とても苦しい。
息を止めて、チャックを止める。
太った「ふくらはぎ」に、まるで「サポーター」や「きゃはん」を付けたように見える。
暑くなり、ゴアの上着とフリースの上着を脱ぐ。
中年夫婦連れと単独行のオジサンを追い越す。
思いのほかに時間が掛かり、御前山の非難小屋まで、ちょうど2時間。
先が長いので、休憩もほどほどに、直ぐに出る。
縦走路も、踏み跡がある。
大ダワまでが長く、林道がなかなか見えない。
先行者の10本歯のアイゼン跡が、疲れてきたのか引き擦りだしてきた。
今日も、ザックにはタニの10本を入れてあるが、今の処は必要ないようだ。
大岳山に近づくにつれ、人が多くなった。
頂上直下の急な凍結した斜面で道を譲られ、慎重に「蹴込み」で追い越す。
本日の「核心部」であった。
昼時であったが、なんと頂上には40名近くがいた。
ほとんど、オジサンとオバサンである。
天気が良く、雲を付けた富士山をはじめ遠く丹沢山塊や奥秩父連山も一望できた。
陣場山は、頂上付近が開けており、雪が巾広く付いているので、判りやすい。
今回の昼食は、ビスケットや飴や煎餅類で、のべつ食べている。
チューブ入りの練乳もあるし、テルモスのコーヒーもある。
汗かきなので、2Lの水も半分飲んでいる。
あまりに人が多く、下山路が混みそうなので、さっさと降りる事にする。
谷が切れている箇所や鎖場もある。
大部分が、X型4本爪の簡易アイゼンを付けているが、引っかかったりしないか、気を揉む。
御岳山の展望台で、ラーメンを作る。
ガスコンロの火力が弱く、半煮えで食べてしまった。
家庭用のガスボンベは、低温では役立たずであり、冬期は山用のガスにしようと思う。

昨日、自転車で江戸川区から臨海地区経由して、3時間ほどサイクリングしたのであった。
現在の東雲は、ビルや団地や倉庫で、海辺の面影はない。
40年以上も前に、東雲で「海水浴」したのである。
近くにセスナの飛行場があり、海辺には杭が何本も立っていた。
久し振りに、自転車で遠出したので、多少疲れも残っていた。

ここまで、5時間も良く歩いた。
御岳山から下山しようと、もう一人の自分がいる。
どうせ降りるなら、「つるつる温泉」がある五日市側へと言う、他の自分もいる。
えーい、うるせいやい。
「意地でも、日ノ出山を越えて、日向和田へ行くぞ。」と決めた。
但し、日没の17時頃までには、下山はしたい。
ビールも早く飲みたいし。
日ノ出山から、下界までは長かった。
吉野梅郷の梅が咲き始めていた。
何とか、17時に駅に着いた。
途中の酒屋で、缶ビール2本も仕入れてあるし、駅のベンチで「祝杯」したのである。


以上


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