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【懐かしの北アルプス】
日時:13年7月21日(日)7:00〜23日11:00 行程:1日目・・・上高地、小梨平〜徳沢〜横尾(登山届)〜槍沢〜天狗原泊、 2日目・・・天狗原〜槍ヶ岳山頂〜西鎌尾根〜樅沢岳〜双六小屋キャンプ場泊 3日目・・・双六〜鏡平小屋〜小池新道〜新穂高温泉(予定は太郎平泊・折立へ) 天気:1〜2日目午前まで晴れ、午後より土砂降りが続く。 食料:4日分(朝は餅、昼はドライフルーツ他、夕はパック飯+キーマカレー他、焼酎半パック他 装備:小ツェルト(160g)、ガスコンロ、小コッフェル、シュラフカバー&インナー、エァマット、ゴァ雨具、ストック他 【上高地、山の思い出】 高一、7月トロッコ道を歩きブナ立尾根から裏銀座経由で上高地まで7日間 高三、7月上高地から天狗原・双六・笠が岳クリヤ谷から中尾峠・上高地、大回遊7日間 大学時代、5月岳沢で雪上訓練合宿 9月K先輩・S氏と、涸沢ベースに前穂北尾根3峰フェース、滝谷第4尾根 この付近の山は約40年振りである。 【小梨平集合】 高校山岳部同期8名中、6名が7月19日から小梨平に順次集い、明神池散歩と宴会した。 各自個人テントと缶ビール6本・焼酎1本を持参願った。 20日の宴会は1人5000円のB&Qを申し込んであり、和牛が余るほどである。 和気藹々で、仲間と焚き火とビールがあれば、最高! 【単独行】 宴会の翌朝、21日夜明けから数名起き、タレに漬けた和牛を焚き火で焼き、朝ビール。 皆とホットケーキの朝食も平らげる。 大勢の見送りを受けて、明神・白沢・徳沢と朝の涼しい木漏れ日の中を歩く。 この日の為に、今年の3月下旬より夕飯だけをサラダのみとして、酒や間食も控えていた。 約10kgの減量と軽量化で10kg足らずの荷、足取りは当然軽い。 「氷壁」前穂高東壁の舞台、徳沢小屋の規模拡大の変わりように40年間の時代を感じる。 だんだん木陰がなくなり暑くなる。横尾でも立派な橋に驚く。 丸太橋がガッシリした大きな橋になっていた。 高一合宿5日目、やっと横尾に着き、疲れた同期S氏がテント設営でホンのちょっとサボった処を 2年のMさんに見付かり、設営完了まで飲めない水を皆の前でお預けされたなぁ! この厳しいMさん、4日目の三俣蓮華キャンプ場への鷲羽岳の下りで、一生懸命駈けている当時小 柄な身体の俺、スモモ色に膿んだ踵を更に「早く走れ」と蹴り込んだ男である! 俺の「ギャー」と発した叫び声を聞いた同期がいた。忘れる事の無い、苦い思い出である。 何故かこの人が山岳部部長となるが、3名の面倒見の良い2年がおり、同期8名が残った。 山岳警備指導員と雑談して、登山届を横尾小屋の中のポストに入れる。 槍沢をテント場として記入した。 涸沢方面に流れる登山者が多く、槍沢方面はグッと減る。 林道から山道となり、傾斜が多少キツク、道幅も狭くなる。 槍沢ヒュッテでは木陰のベンチでラーメンを作る。 旧槍沢小屋跡はキャンプ場となるが、背後の崖が気になるテントサイトである。 更に登ると、槍ヶ岳方面と分岐して、天狗原から南岳方面に向かう。 高三の合宿は、入山初日から1・2年がバテ出して、殆ど3年が荷を背負う事となった。 OBで参加のOさんが天狗原への道を間違え、先頭で一抱えもある岩を落としてしまった。 勢いを付けてガラゴロ転がる岩を皆は避けたが、1年のYの正面にぶつかった。 Yは抱えながらすくい投げの様に脇に避け、背のキスリングから岩場に倒れ込んだ。 皆が慌てて駆け寄ったが、無傷で済んで事なきを得た。 先輩OBのSさんから、大目玉を喰ったOさんであった。 天狗原は別名:氷河公園とも言う別天地であった。 槍沢が箱庭の様に広がり、雪渓からは雪解け水が豊富に流れる。 こんなに素晴らしいテント場は少ない。 2〜3パーティしか通過者はいない。 天狗原では、雪渓が多く水場には困らない。 比較的平地で岩場でない草地を選ぶ。 多少湿気があるが、マットがあるので問題なし。 正面に大天井岳を望む、正に別天地。 3km四方、人っ子一人いないだろう! 携帯で小梨平にいるS氏とO氏メールを送る。 「今日は徳合峠を往復した」と、O氏。 狭いツェルトなので、日暮れまで表にいる。 22日未明から起き出して、簡単な食事を取る。 テント場を汚さずに、立ち去る。 南岳の稜線に出ると、西風が強い。 槍の肩の小屋に着くが、ガスで山頂が見えない。 だが、雨は降っておらず、登頂のチャンスである。 山頂付近で、強引に奥さんを連れ出した夫婦 連れが、遅れに遅れていた。 喧嘩にならねば良いが・・・。 西鎌尾根を慎重に降りる。相変わらず、西風が強いが、尾根の東側はピタリと風が止む。 お花畑が続く、楽しい尾根道だ。 10名ほどの高齢者パーティが、狭いハイ松の道を塞いで休憩していた。 「どうして、ここで休んでいるのですか?」と聞くと、 「風が強いから」と、驚きの返事が返る。確かに風は強いが・・・。 「もっと、良い場所があるのに。」に対し、「・・・。」 「この先の東側は道が広くて、周りはお花畑ですよ。」とは、残念ながら言わなかった。 樅沢岳の急登を過ぎると双六も近い。まだ昼前だ。 小屋で缶ビール350mL500円を買い、東側の ベンチでラーメンを作り、ビールで胃袋に流す。 テント代500円を払い、広いテント場に向かう。 鞍部の西側なので、風は強い。雨も降って来た。 雷鳴を聞く。 L字型に石垣を作る。 惨めな小ツェルトなので、石集めは許して頂こう。 近くでテントを張る人には、遠くから石を運んで上げた。 脇の登山道に腰掛けて、傘を差しながら、焼酎水割りを飲む。 雨の中、大型ザックを背負った、長身な単独行が鏡平小屋方面からやって来た。 「重そうな荷ですね、30〜40kgあるのでは?」と声を掛け、顔を覗く。 「あれ、女の子だ、凄いねぇ」と続けた。 夏目雅子似(例が古いが、ご了承願う)の美形は、 「30kg弱です〜。女子ですよ〜。」と、笑顔をくれた。 早々に夕餉(キーマカレー)を済ませて、小ツェルトに潜り込む。 断続的に雨風が強くなるので、明日の行程は微妙である。 23日未明に起き出し、観天望気する。 相変わらず、強い西風である。 全身、濡れている。 ゴァ製シュラフカバーの防水性が落ちているようだ。 下山する事に決めた。 新穂高温泉まで8時間程度である。途中には、鏡平小屋もある。 小ツェルトをザックカバー風にして4時30分出発し、鏡平小屋には7時頃に着いた。 小屋に入り、BS衛生放送で天気予報を見る。 大休止する。 300円で手ぬぐいを買う。 乾いた物が有り難い。 小池新道は、歩きやすい。 緩く傾斜を付けて、平らな石を並べているので、ペースが上がる。 新穂高温泉のバス停に11時に着いた。 高山行のバスは11時20分発である。ラッキーである。 「濡れた物はバスの中には入れないで下さい。」と、50台の運転手さん。 ザックに濡れた雨具などを詰めて、床下のトランクに入れる。 「料金は2100円ですので、用意して下さい。」に 「濡れている紙幣しかありませんが・・・。」 苦笑する運転手だが、「降りるまでに乾くでしょう。」窓ガラスに紙幣を貼り付ける。 2時間後には、ほぼ乾いていた。 高山は暑かった。------------------------------------------------------------------------
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