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夏の南会津〜尾瀬〜奥只見越えの旅


だらだら続く駄文です。流し読みして下さい。

メンバー:
Ishi(エレベータ会社課長、ビューテックSX−1所有、今回の企画担当)
Sono(塗装会社経営、Isiとは大学時代の友人、外国製MTB所有)
suzuki(植物写真家、著作書多数あり。Isiとは35年の山仲間、トレンクル6500所有)

自転車好き・ツーリング好きであるけど、それぞれ好みが違う自転車を所有している異
色3人の、盆休み都合が合った。
帰省渋滞を考え、鉄道好きの私の案から電車で行こうと、辺境峠越えの旅が始まった。
これから訪れる「困難」も知らずに・・・。
尚、「温泉」が多いのは、旅に行ったらビール、汗をかいたらビール、風呂上がりにも
ビールと「酒好き」「温泉好き」おじさんの定番故。

8/14(水)1日目(浅草〜木賊温泉:トクサオンセン)
早朝7:10浅草発の東武快速で、会津高原に向かう。
Sonoは、娘さんに大船から車で送ってもらい、6時には着いていた。
乗客の邪魔にならないよう、先頭車両の先頭座席付近に自転車を置き、小宴会が始まる。
北千住・春日部等途中で結構旅行客が乗り込んでくる。
栃木県に入り、Suzukiが地元のバーサンに席を譲る。
この感覚や行動が「バーサン」に好かれる所以である。
古い山男はご存じである、鹿島槍麓の「鹿島のおばば」とかに特別におやつを貰ったり
していた。
下今市からは単線になり、鬼怒川などの各主要駅で上り電車と交換する。
10:19会津高原着、さっそく自転車を組み立てる。
折りたたみ自転車は、流石に組み立ては簡単で早い。
しかし走るスピードは26インチ車にかなわないが。
10:45発のバスが出て行き、国道352線の中山峠への上り坂を自力で走るしかな
い。
いくら標高1000m位でも、カンカン照りのしかも上り坂。
しんどい、辛い、汗が噴き出る。
約1.5時間で乗り切る。下り坂は嘘のように快適そのものである。
館岩川岸で、ざる蕎麦を茹で、冷えたビールで食す。
3時過ぎ雨が降り出して、本日の予定をあっさり変更して、木賊温泉方面の西根川に入
る。
すぐの廃道に分け入り、キャンプ地と決める。水は、脇の給水場蛇口から拝借する。
5時頃、雷雨が一段落してSonoから「温泉」に行こうと提案。上り坂6km先である。
汗まみれで、狭く濡れているテントにウンザリしている様。戻ると7時過ぎで暗くなる
が。
帰って着たときに直ぐに調理できるよう、野菜等の下拵えしておく。
温泉を目指せば、空身の自転車は小々の上り坂でもグイグイ走る。
木賊温泉の公衆湯で、しかも露天風呂が見つかり、早速入湯。200円であった。
快適な硫黄泉の湯船が2つあり、腰までの深さがあった。
脱衣場と洗い場が共通しており、「あぶ」がブンヅン飛ぶ風呂であった。
風呂上がりのビールを楽しむ。最高であった。ここまでは。
キャンプ地へは下り坂なので、温泉で火照った体を冷やすには絶好である予定が・・・。
約2時間周期の雷雨が襲って来たのは、そろそろ戻ろうとする頃であった。
上下雨具を身にまとうが、Suzukiがゴアの上下を上だけ着た。
彼はパンツの中まで濡れて、冷える事になる。
下りだすと突然の稲妻が走り、目の前が豪雨でまるで見えない。道路の白線が頼りだ。
たまに来る、対向車のアップビームで、目つぶし状態になる。
稲妻は怖かったが、光で道路を一瞬照らしてくれる。
結構長く感じられる程、辛い豪雨の中の走行であった。
今後、少々の雨には挫けない「変な強さ」も持ってしまう。
キャンプ地に入る曲がり口の手前の長い橋が目印であり、通り過ぎると更に辛い上り坂
で仲間から顰蹙を買うので、慎重に走る。
夕食前だったので、1〜2人用テントの入口を合わせて、片方で調理し、出前とする。
「ブルコギ焼き肉」「チキンソテー」「お好み焼き」勿論ビール・焼酎付きである。
雨が止み、Suzukiは日課である、HP「鈴木庸夫の自然と遊ぼう」の発信に電波の入る
場所まで、暗い中出掛けた。家族と話しはできたが、HPは送れずとの事。
もう8ヶ月以上日課が続いている。好きな事は続くものだ。
学生時代にはあり得なかった事である。感心、感心である。
Sonoが持参した断熱シートや輪行袋が実に役立ち、夜更けの12時頃まで話し込み、快
適に寝られた。

8/15(木)2日目(木賊温泉〜尾瀬〜奥只見湖)
朝の早いおじさん達は、4時頃には起き出す。
先ずは、目覚めの「コーヒー」。
朝食は、「スパゲティー」「焼き鳥」「残り物ブルコギ焼き肉」「残り物大阪風お好み
焼き」
「ウーロン酎」「玄米茶」で仕上げる。
ウーロン酎は、Sono用にウーロン茶を買うつもりが、パッケージが似ていて買ってしま
い、おつりが合わないと店のオヤジを疑ってしまった。
しかし、このウーロン酎は旨かった。
6時頃に出発する。
401号線合流からは、上り坂である。
昨日、HPが送れなかったSuzukiは、早く送るつもりで、なかなかバスに乗ろうとしな
い。
「小豆温泉」の雪崩対策用隧道(スノーセット)の中のバス停でバスを待つ。
宇都宮から来た、茸狩り2人「野遊び好きのオジサン」とバス待ち時間を話し込む。
同じ空気を感じるのか、お互いの遊び自慢談義をする。
ガラガラの「沼山峠」行きバスに乗る。ドンドン高度を稼ぐ。
「尾瀬御池」からは、マイカー規制で観光客が多い。シャトルバスが往復している。
10:30沼山峠着、1230円安いぞ。但し、飲料水がなく、売店で買う。
ここでSono・Isiは自転車と荷物をデポして、昼食等だけ持って行く。
Suzukiは、自転車・予備タイヤ・カメラ・三脚・テント等(衣・食・住)を背負子付ザ
ックにくくりつけで収める。
25kg位ある。後ろから見ると、まるで「弁慶」の七つ道具の様。
1ヶ月位山の中で暮らしている様で、いい(凄い)雰囲気を出していた。
今時、尾瀬でこんなに担ぐボッカもいないと思う。
尾瀬沼まで、Suzukiの高山植物講釈を聞くが、聞いた傍から忘れてしまう。
尾瀬沼の石のベンチで、「醤油ラーメン」「味噌ラーメン」を作り、ここで別れる。
Suzukiの自転車はタイヤ径が小さく、下り坂でブレーキを多用するとリムが加熱して、
最悪バーストしてしまう事があるので、奥只見湖越えは止めて、三平峠から大清水経由
で群馬・栃木方面に行くとの事。結果的に好判断であった。
沼山峠に戻り、濡れたテント類を舗装路で乾かして荷造りする。
御池まで、バスしか来ない道(路面かなり悪い)を戻る。
御池から、いよいよ奥只見越えするが、売店があるのもここらだけなので、取れたてト
マトをかぶりつく。
Sonoの右のペダルがクランクにネジが締まらず、だんだんアルミ製のクランクのネジ山
が取れてしまう。前途多難な状況で不吉な前兆であったと、後から思う。
力を入れる上り坂だと、外れ易くなり、ここには自転車屋もない。
行くしかない状況であった。
平が岳登山口を経て、奥只見湖畔の尾瀬口まで、長い下り坂である。
尾瀬口から銀山平まで船が就航している。使えばよかった。
3時過ぎて、雷雨となった。
尾瀬口から湖に突き出している尾根へは上り坂で、深い谷へは下り坂の繰り返しである。
上り坂が長く続き、押して歩く。腹も減る。
出発前に、間食用兼非常用兼おつまみ用として、たっぷり1人1袋用意していた。
役にたった。新潟県に入り、林道のような国道に沢の水が流れ出し、冠水状態になる。
ブレーキもリムまで水につかり、滑っているので、利きが悪い。
更に、小川が濁流に変わり、道路上を横切る為、その都度自転車を担いで斜めに渡る。
足元をすくわれたら、自転車もろとも深い湖まで流される。
久しぶりに緊張した。Sonoには、安心させるように言うが、実際には伝わったか?
逆方向にくる車に、先に行くなと合図したが、無視して行ってしまった。
4〜5回渡渉を繰り返したが、どうにもならない濁流が現れ、手前の広場で露営する。
風がなく、吹き飛ばされる事はなさそうであった。
何台かの四駆車が濁流の中を行ったが、強引な走行である。慎むべきである。
「降雨時通行禁止」と看板もある。
1台の変わった欧州車が近くに止まっていたが、青年1人が中にいた。
聞くと車両重量が軽いので濁流の中には行かなかったとの事。
聞くと食料を持っていなかったので、分けてあげる事にした。
ほっとした様子であった。地獄で仏にあったと言っていた。
先ほど、我々がテントの周りで話しをしていたのが、車の中で「ボソボソ」と聞こえて、
「妖怪」でも出たかと思っていたとの事。
布袋様のような体型な2人に対し、神様と妖怪では正反対ではないか。
そんなこんなで、夕餉を3人で済ました。
「かけうどん」「雑煮」「焼酎」「玄米茶」を馳走する。
疲れもあって、ぐっすり寝た。俺は。Sonoの鼾も知らずに。
Sonoはどうか。盛んに鼾が大きくかいたので、迷惑を掛けたと言っていたので、あまり
寝られなかったと思う。こんな体験は、山慣れしてもあまりなく、まして素人のSonoに
とって、強烈すぎたと思う。
57年前の終戦記念日でもあった。

8/16(金)3日目(奥只見湖〜栃尾又温泉〜小出)
やはり、4時頃に起き出して、濁流跡を見に行くが、小川に変わっていた。
自然の猛威は恐ろしいものだ。
6時頃、国道保守のブルが「除砂」「除ドロ」「除石」「除木」に来た。
朝の「コーヒー」と「雑煮」「玄米茶」を作る。2本目のガスボンベも丁度尽きた。
車の青年は、「Yano H」といい、S社 Y研究所勤務25才、東大出との事。
神奈川県育ち、大阪暮らし。叔父に60才くらいの植物写真家Y氏がいるとの事。
車は、34年前の伊製「フィアットバン」68年製・排気量600CCで、中古を20
0万で購入したとの事。
飯を馳走したので、言うのではないがと、前置きして自転車を折りたたむので、「栃尾
又温泉」まで載せてもらえるかと尋ねたら、お安い御用との返事。
気が変わらない内に、小さな車の荷台に詰め込む。
6時半頃、ほぼ満載で、出発する。今日はもう自転車に乗るつもりはない。2人共。
銀山平まで、アップダウンがあり、「枝折峠」(シオリトウゲ)方面に行く。
この峠も「半端」でなく、標高2〜300mくらいは上る。
峠には、「カメラ好きおじさん」が5〜6名いて、凄そうなカメラを朝日が上がってい
る山並みに向けていた。雲海も見える。絶景ポイントである。
彼らが、車に近寄って、褒めだした。「運転席に乗せてくれ」とも言う。
所有者の青年は、気分がよかったと思う。
峠を下ると「大場温泉」の手前に「栃尾又温泉」がある。青年も温泉に入りたいと言う。
湯治場である。鄙びた雰囲気がある。木造3階建ての建物もある。
奥の「温泉センター」に湯治客が入る。日帰り客は、10時からと書いてある。
今は、8時過ぎた頃。青年は、「タダで入れるかも」とかなり関西人ぽい。
脱衣場に行くと、スリッパもなく、ガラガラと思った。
風呂場に行くと湯治のオッサンだらけ。我々も若く見える。青年なんかは孫の世代だ。
露天風呂もあり、昨日の疲れを癒す。Sonoも満足顔だ。
栃尾又温泉からバスに乗るつもりでいたが、青年の好意で「小出」駅まで行ってくれた。
青年は、峠越えはコリゴリと言っていたが、大阪へは、「乗鞍越え」で帰ると言ってい
た。
メールアドレスを交換して別れる。
お互いに助かった。
小さな駅だが、新聞もあるし、ビールもある。
時刻表を見ると、午前中に東京に着きそうである。上越新幹線の指定席は完売だった。
小出駅から昨日別れた、Suzukiに携帯で電話すると、自宅にいた。朝の9時であった。
昨日大清水から沼田まで自転車で走り、遅くに東京に着いたとの事。
電車内で、例のHP発信したと言っていた。便利な携帯である。
浦佐で乗り換え、「あさひ」のやはり先頭車両に乗ると、運良く2席空いていた。
駅弁で早い昼食を済ませて、あっと言う間に「大宮」に着き、Sonoと別れる。
今回のコースは、かなりアップダウンがあるので、今後地形図で起伏グラフでも用意す
る必要性を感じて反省する。
気象が悪い情報を得て、夏の3時以降は、行動しない方が良い。


PS、旅でのIsi被害・・・デジカメ冠水、ブヨ・アブ刺されまだ痒い
       帰宅後・・・西武近鉄戦のキップがあり、劇的逆転勝利に酔う。
Isi購入計画・・・1人用ゴアテント、ゴア雨具、ザック
    Sono被害予想・・・自転車クランク・ペダル、濁流の恐怖
    Sono購入予想・・・1人用テント(濡れるテントはコリゴリと思う)




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