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隠れ家とテント

昭和30年代中頃、練馬区役所の近くに「廃材置場」や「やっ
ちゃば=野菜市場」があり、そこから出る、荒縄や板きれを集
めて「隠れ家」を作った。

家の前の道路は簡易舗装で、木製かコンクリのゴミ箱が置かれ、
側溝には糸ミミズがいた頃だ。

住宅街で「養豚か肥豚」している家があり、時々トン走すると
逃げ足が早く、人間も物陰に逃げ出した。

トイレも水洗でなく、リヤカーに桶を積んで来た。

そのリヤカーの引き手で、子供達が「鉄棒」をして遊んでいた。
親に怒られながらも。

近所には団塊の世代が多く、小学校の高学年から低学年以下ま
で男の子だけで10人以上いた。

中学生に同姓の番長がいて、不良から何度か「○○さんの弟さ
んですか?」と丁寧に聞かれ、「そうだよ」と答えていた。

蜂の子を食べたのも、その頃。

空き地で缶に幼虫を入れて火に炙り、香ばしいにおいとトロ〜
とした食感で美味かった。

公民館の裏の広葉樹に、運び込んだ材料で、枝の間を荒縄で巻
き、背もたれ型の隠れ家(今で言うツリーハウスかな)を良く
造った。

怖い用務員がいて、出来上がった頃会いに「こら、ダメだぞぉ
〜」と言って追い返えさせられた。

飽きずに、また造る。何回か繰り返した。

「廃材置場」では、偶然見つけた空間を「隠れ場」にしたが、
暗いので「発泡スチロール」を空き缶に少し入れて燃やし、
「ランプ」代わりにしていた。

黒煙が出たが、火事は出さずに済んだ。

が、その代わり良く釘を踏んだ。

ある時、画材の「イーゼル」を手に入れて(多分拾ったか貰っ
たもの)、親に古いシーツを三角錐に縫ってもらったのが、始
めての「テント」であった。小さな空間だった。

近頃、東京では雪があまり積もらないが、小学5年の頃か、家
の前に掻き集めた雪で「かまくら」作り、夕飯後、近所のクラ
ス仲間(今は家業の精肉店主)を誘い、毛布を持ち込み潜り込
んだ。が、夜半に親に止めさせられたが、本人達は寒くはなく
「朝まで」いるつもりでいた。

「15少年漂流記」を繰り返し読んでいたのも、その頃だった。
今でもテント泊りが好きなのも、少年時代の「隠れ家」の影響
かも知れない。



先生の間で眩しそうにしているのが小1の私です。


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