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廃線跡探しの日
日時:04年11月28日(日) AM10:00〜18:00 場所:例の高台と山口湖(狭山湖)建設資材運搬用の軽便鉄道跡 時代:大正末期〜昭和初期(約80年前) 参加:植物写真家SU、電気技師兼植物写真セミプロのN、鉄道も好きなI この軽便鉄道の話を、通勤電車のイベント広告で知ったとNから最近聞いていた。 都心から約30kmと、ごく近郊でナローケージ(レール巾762mm)の軽便鉄道があったとは! 熱狂的な廃線マニアは、既にご存じだが・・・。 早速HPを開くと、「水瓶軽便物語」で5件ヒット。詳しい小冊子まであるそうな。 廃線跡は、トンネル・鉄橋・橋脚・枕木・バラスト(砕石)・レール・駅舎跡・路線の曲線等で判る。 鉄道作家の「故宮脇俊三」さんは約30冊の文庫本の中で、動く鉄道を乗り尽くして「鉄道廃線跡の旅」も書いている。 小春日和が続く、前日に「例の高台までサイクリングしてビール飲もう」と誘った。 目的は、「廃線」でもある。 集合場所は、ほど近いNの家に10:00である。 何時も通り早起きするが、4時間ほど時間を潰し、8時半頃に家を出た。 Nの家までは、「輪行」(袋に入れて電車に乗る)であって、昼ビールの為にも鉄道なのである。 折りたたみ自転車は、素早く畳めて、素早く組み立てできる。 私の「袋」は、3〜4人用天幕のフライシートであり、宴会用のシートにもなる。 「一石二鳥」の品である。 肩ひもは何でも良くて、袋に入れれば運賃だけで鉄道やバスにも乗れる。 家から出発する訳ではなく、出先で「サイクリング」を楽しめば良い。 途中のコンビニで「買い出し」して、1回目の「食事会」を多摩湖の土手上の「東屋」でする。 切りがないので、「さぁ、行こう!」と半ば強引に腰を上げさせる。 ビールがなくなり、街道まで降りる。 例の高台で2回目の「食事会」。 ザックに入れたつもりの「コンロ」がなく、「乾き物」や定番の「納豆」や「総菜物」となった。 メンバーからは、「なんだ、かんだ」言われるが、笑って誤魔化す。 暖かい「鍋焼きウドン」のつもりが・・・。 日当たりの良い高台で、うたた寝する。 微かに写真談義しているようで、SUとNが「三脚で・・・」とか聞こえる。 起きると2時過ぎで、「廃線跡探しに行こうぜ」と言うが、肝腎のNの記憶が・・・。 公園管理事務所に行き、「廃線跡があるそうですが・・・。」と尋ねると。 「所長、市からのパンフレット・・・。」とお姉さんが言う。 ありそうであった。 貰ったパンフレットには、先月の「鉄道会社のウォーキング」案内だった。 裏面には地図があり、土地勘があるNが「判った、あそこか」と。 「かたくりの湯」から500mくらい下り、曲がり角に「トンネル」があった。 サイクリング道路とあり、うって付けである。 トンネル内には照明があり明るい。 真っ暗なトンネルしか知らないメンバーからは、「ほぅ、良いぞ」と。 ヘッドライトを忘れたNは余計である。 4〜5個の小さなトンネルを越えると、急に行き止まりになった。 柵で次のトンネルに入れないが、先人達が造った80年前の鉄道が残っていた。 多摩湖の北側から堰堤下に行き、「紅葉」が良い所で、3回目となる。 4回目は近くの駅前の居酒屋は「準備中」のため、久米川駅前の「韓国料理店」に向かう。 ここはランチで入った事があり、おかずがどんどん出て来て割安だった。 今は半年前にランチは止めて、夜だけの営業との事。 キムチ好きなNは顔中汗をかいて、美味そうに食す。 豆腐チゲ、チヂミ、ブルゴギ等を頼むが、韓国海苔やモヤシやカクテキが出て来た。 忘年会の打ち合わせをしてお開きとなる。
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