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晩秋の奥多摩雑記
11月13日(土) 欲しかった山スキー兼用靴を手に入れ、次は体力・筋力アップだなぁと思っていたのである。 土曜の朝、2日間の好天予報を知り、好きな登山で鍛えようと・・・。 思い付きの行動も迷惑掛けない程度なら「有り」であり、それとして楽しいもの。 出掛ける先をアレコレ考えて、HPやコースタイム入りの地図を開く。 但し、時期的に「秋のつるべ落とし」であり、すぐに行く場所を決め準備し、早めに家を出たい。 日帰りは行動時間も範囲も狭く夜の焚き火もできないので、どちらかと言うと好かないのである。 今日の到着時間を最悪17時、移動に3時間・登りに3〜4時間とすると10時には出発せねば。 場所決めや準備のポイントは、 ・ 綺麗と評判の御前山避難小屋や山頂にある雲取山避難小屋が気になるなぁ。 ・ 高校1年の時に30kgのボッカして思い出深い三頭山は以前から訪ねて見たかった。 ・ 温泉とビールはセット物。→「数馬温泉」「大滝温泉」「つるつる温泉」「もえぎの湯」等がある。 ・ 呑むのであれば、移動は鉄道である。 ・ 行き帰り違う車窓も楽しみたい。→青梅線、五日市線、秩父鉄道、中央線や京王線もある。 ・ エスケープできる場所が良い。→御岳山から三頭山の尾根道がいいかなぁ。 ・ 水場が近くになければ何かと面倒である。→沢沿いや小屋の近くに水があればOK。 ・ 食料の買い出しもこれからだ。→スーパーは開店前なのでコンビニへ。 ・ 避難小屋が混む場合もあるので、小さなテントもザックに詰める。 ・ 時期的に朝晩は冷え込むので防寒着兼用のゴア製雨具や羽毛の全シュラフも持って行こう。 ・ ラジオやLED灯付でケータイ電源も取れる手回しハンドルの小型発電機もザックに入れた。 ・ 1泊位の荷は背負えば、重さは気にならない。→体脂肪として何時も余計に背負っているし。 ・ 熊が出たら睨み付け、攻撃されたらストックとナイフで戦うか逃げるか。 ・ 人の多く入る山に出てくる熊はゴミや人の食べ物の味を知っている奴で用心だ。 ・ スギヒラダケは会津で採って食した事があり美味であったが、今回からはパスしようと。 である。 そして選んだのは、 JR東中野→奥多摩→境橋→栃寄沢→御前山→三頭山→数馬温泉→五日市→西武拝島線 JR東中野→奥多摩→タクシー→三条の湯→雲取山→三峰山→大滝温泉→秩父→西武池袋線 が候補であったが、時間的にも考えて今回は前者とした。 調子が良ければ、三頭山から長い尾根道を高尾山方面に足を延ばそうかな。 10時半頃に家を出て、境橋バス停に降りたのは、午後1時半項であった。 青梅からの電車は特別車両で、渓谷側が4人掛けボックス席で山側がロングシートだった。 特別列車 御岳駅から空いたので、ボックス席の進行方向の窓側に座れた。 青梅の1つ手前の東青梅から単線でカーブも多く、「ローカル線の旅」の気分である。 車窓からは、多雨で鮮やかさに掛ける紅葉と、目障りな花粉をたっぷり付けた杉林が目に入る。 奥多摩駅のホームにいた保線員に車両の事を聞いた所、 「2〜3年前からあります。」「いい車両ですね。」と返すと、顔中に皺を寄せて笑顔で返してくれた。 ・ ・ ・ 話を境橋に戻そう。 50m以上も谷が深く、帽子を押さえながら顔を出して見下ろすと紅葉と清流の渓谷が美しい。 今日の歩く予定の高度差は地図によると約900mである。 境橋から 山葵畑を2カ所抜ける間で日帰り登山の下山者とすれ違う。 全部切り倒したいと思っている花粉をいっぱいつけた杉林から、ブナ・カツラ等の広葉樹林に変わる。 大分高度が上がった。 先週末から、もう「花粉症」が始まったのだった。 38歳から14年間も毎年辛い「春」であったが、まさか「晩秋」からとは・・・。 今年の春は一番楽で、2月から2ヶ月間だったのに。 これから、5月まで6ヶ月も・・・。 コンビニで買い出しと同時に「マスク」を買ったが、喘ぎながらで既に湿ったマスクであるが。 以前は、「飲み薬」や「鼻薬」で凌いでいたが、今は「使い捨てマスク」を愛用している。 花粉症の辛さは、なった人でないと判らないと言う。 又、話が飛んでしまったので、山道に戻る事にする。 枯れた沢沿いからの尾根道は急になり、空気が澄んで涼しい季節だが、汗が噴き出る。 たっぷり汗をかいたので、何だか身体が少し軽くなったような気がする。 たまにすれ違う登山者の年齢は相変わらず高い。 登っている2名パーティの後ろの人(以後、仮にK氏)は遅れがちで直ぐに追い越す。 前の人(同、仮にF氏)は脚が早く抜けずに暫く後追いすると、傾斜が落ちて急に小屋が現れた。 ログハウス造りで南側が全面ガラス戸とテラスがあり、今までにない斬新な避難小屋であった。 ガラス戸は施錠してあり、開けてもらい先客2名(同、青年と女性)に挨拶するが、 狭い小屋内で喫煙しており、堪らず外にテントを張る。 F氏とK氏にも挨拶と雑談する。 水場も小屋の脇にありチョロチョロとバイル(ステンレスボール)に溜まっている。 水があるだけで「吉」である。 夕餉はテント脇のベンチでエビスの缶ビールを開けて、キムチ鍋と残り飯で食する。 コンビニの鍋類はアルミ製だが、ザックに入れると必ず穴が開く。 小さなコッフェルに移し替える。 食後、うす暗くなったが、御前山山頂まで往復する。 明日は暗いうちに歩き始めるので、下調べを兼ねる。 小屋の前からは下界の灯りやネオンが瞬き始め帯状に広がっているのが一望でき眺めていた。 青年が現れ、「唐松ですよね。こんなに紅葉が綺麗とは・・・。」と来る。 挨拶の効果である。 すると、食べませんかと「焼き鳥」が出てきた。F氏とK氏である。 更にF氏が、「焚き火やりませんか?」と来た。 彼も焚き火愛好者であった。 二つ返事で「是非やりましょう。暗くならないうちに薪集めをしましょうよ。」と青年と女性も誘う。 倒木を集めると同時に小枝を折り、新聞紙に火を着ける。 小枝は多少湿り気があるも新聞紙を追加する内に、枝に燃え移った。 青年は枝をドンドンくべだしてきたので、「夜は長いので少しずつに・・・。」と手綱を締める。 火の廻りの「唐松の葉」をどかす。 風は微風でも乾燥しているし、用心しないと。 暫く「焚き火談義」となり、冬期の焚き火用インディアンテントや奥多摩での「穴場」を紹介する。 F氏は「山屋」で中野区F高校山岳部出の47歳。 K氏は大阪生まれ国立H大出のF氏の先輩で52歳であった。 青年と女性は、1年前から山にハマっている30代前半のペア。 ペアは草野球も好きで、「上高田球場」や「哲学堂球場」で試合する等で「中野繋がり」であった。 又、F氏・K氏・青年男が「埼玉住まい繋がり」だった。 今度は、「山談義」から「山岳部談義」に移り、時間の経つのを忘れる。 F氏・K氏から「バーボン」を貰い、紅一点の女性には「ドリップコーヒー」を作ってあげた。 ペアは、「もっと早く山と出会えたら良かった」とその夢中振りを言うので、 「今は50歳代から始める人が多いですよ。お金に余裕があるので山の店では万札が飛び交っていますよ。」と慰めにならない事を言う。 ふと下界を見たら街の灯りが消えおり、誰かが「停電だ!」と。 多分、青年で「ガスですよ」と私。 日暮れから4時間も外で「宴会」して、そろそろ身体が冷えてきてので、お開きとなる。 たっぷりと水を掛け、更に踏みつけて消火する。 遅くなったが名字と明朝早い事を告げ、「何処かの山で又会いましょう」と散会した。 シュラフに潜り込むと、「Iさん、ロールキャベツ作ったのでどうぞ。」と夜食まで届いた。 有り難く頂く。 F氏は「冷凍物です。」と謙遜するが、コンソメが効いた美味であり大変暖まった。 栃寄沢の滝 11月14日(日) 3時間程寝たがトイレに起きて、白湯を飲む。 1時間程微睡だが、スパッと起きる。 まだ夜中の1時だ。 山だと余計に目覚めが良い。 昨晩のキムチ鍋の残りに冷飯と溶き卵を入れた「雑炊」に「みそ汁」「コーヒー」で朝食を済ます。 LEDのヘッドライトを点け、2時に御前山避難小屋を後にする。 闇夜で星空でもなく、涼しいだけが取り得だった。 奥多摩湖からと思われるローリング族らしき「騒音」と「照明」が深夜の尾根道まで届く。 4時に奥多摩湖周遊道路に出る。 熊は出なかった。 アスファルト道を「檜原都民の森」まで歩く。 幾らか明るくなりかけた中、まるで「遊園地」のような「檜原・・・」は、37年前の下山路とは「別世界の異次元空間」だった。 もっとも、山越えのアスファルト道路もない時代だから・・・。 程なく「鞘口峠」に着いたが、檜原側はすっかり峠まで例の「都民・・・」で開発されていた。 当時、ダム湖畔からドラム缶橋を一列で渡る頃に1人がバテ出し、先輩が「どうしたM」と聞いた。 「足の爪を切り忘れました。」と答えて、「ばかやろう、爪くらいでなんだ」と怒られた。 後に「あの時の爪はどうだった」と聞いたら「全部剥がれたんだ」と同期のMが悲しそうに答えた。 厳しい伝統の部で、「新人哀歌」の山の歌の一節に「〜不味い飯に水少し♪♪ツンツン」とある。 歌の通りだった。 先輩が作る飯は本当に不味く、食当で2年のO氏は唐辛子好きの「味覚音痴」と評判であった。 飯以外では「ちょっとワルで良い先輩」であったが、皆がそれに気が付いた。 三頭山の前に出掛けた丹沢では、「ガンタ飯」と言う物を始めて食した。 そのガンタ飯に「ダシなしタマネギ半生のみそ汁」をぶっかけて、「喰え」である。 同期で育ちの良いFは、それ以来永谷園の「磯のふきよせ」(当時の代表的なフリカケ)を密かに持ってくるようになり、分けてもくれた。 目撃者のNの話では1升炊きの釜に1升5合入れ、蓋が上がるのを「押さえろ」と言われたとか。 「任せられない」と食当に手を挙げたのは、同期の写真家のSUと今では食通のMAだった。 大学生で良く山に来てくれたOBのICHI氏から、 「お前らの飯は旨くなった。だが時間が掛かり過ぎる」と誉められたのか、叱られたのか判らない言葉を貰った。 「味覚音痴の飯」に対して、食の伝統を守らずに誉められたが、先輩をフォローする小言だった。 話を飯から水にしたい。 この三頭山は梅雨時で重いキスリングの上から上半身にビニールポンチョを被り、蒸れと喉の渇きを癒す為に、 わざと前を歩く仲間にぶつかり、垂れる雨水を啜った。 1人が気付き、1年生の多くはぶつかり出した。 顧問で生物のS先生がグミみたいな赤い実を「食べられるぞ。」と言うと、皆は貪り食べた。 遅い時間に着いた三頭山の頂きで、ボッカの中身である憎き重たいブロックコンクリートを、 リーダーが「捨てていいぞ」と全員に告げると他の同期は黙って捨てたが、 SUは何に対してだろうか「ばかやろう!」と大声で投げ飛ばして、リーダーから叱られた。 山頂からの下りはいつも「駆け足」だった。 木の根に引っかかり、山道から転げ落ちたが、「這い上がれ」のOBの言葉しかなく、唸りながら起き上がった。 皆ひどく疲れ果てていたが、山深い谷道をひたすら歩いて数馬集落に着いた記憶がある。 最終バス待ちの間、同期のOは棒のアイスキャンディーを一度に10本も食べていた。 聞くと、「俺、好きなんだ」とか。 それでかOは、ずっと歯が弱い。 ザックの肩ひもをずらさず、肩の神経が麻痺して手が挙がらずに「医者通い」した1年もいたなぁ。 ・ ・ ・ 転がり落ちた場所は何処かなぁと思い出しながら、今日は登る。 ブロックを捨てたのは、東峰だと思う。 東峰を巻いて、中央峰に着く。 7時だった。 ケータイは棒3本で入る。 高尾山側に下った鞍部から小山を越えた先に、立派なログハウスの三頭山避難小屋があった。 無人で日誌があり、女文字で「乾燥期に、大人が花火するとは・・・。」と先週末の記録があった。 だらだらと書き始め、次のページにも書き込む。 富士が見える小屋に付いているベンチに座り、8時の昼食にする。 もう、朝飯から6時間も経っている。 容器が潰れないようにタッパーに入れた「納豆」に「みそ汁」「梅干し」「蒸かし芋」で満たす。 食料も少ないし、下山する。 先程の鞍部に戻り、「開発」された道を下る。 途中で「ブナハリタケ」の白い茸を見つけたが、見送る。 「檜原・・・」のバス停に9時半に着いた。 これから登山する人達で賑わっている。 9時40分発の「数馬行」バスに1人乗り、数馬の湯を目指す。 バス代は無料であった。 次の五日市行バス時刻は10時8分で、後は11時30分だ。 「数馬温泉蛇の湯」までは、バス停から数分下にある。 5分で湯から出る事もできるが、1000円も払うので止めにして、ゆっくり風呂に浸かる。 小振りな内湯で、蛇口は5カ所。 先客2名が居て、「早いですね。」とか「イマイチの紅葉ですね。」とか湯の会話する。 長湯好きでないので、30分も入ってられない。 受付の脇の間は、天井も低く黒光りしている。 「時代物ですね、移築ですか?」と尋ねると、「300年とか500年前からです。」と受付オバサン。 ん、200年も開くのか?と思ったし、ちょっと変かなぁ答え方が・・・。 「あちらの方がゆっくりできますよ。」と広間に誘って、かわしてくる。 まぁ、いいか。 誰もいない大広間で窓の真ん中に陣取る。 この辺りの紅葉は、まだましである。今年は全体に良くない。 稜線の唐松くらいだ。良いのは。 「ビール」を頼み、「食事できる、ラーメンとかない?」と聞いてしまった。 「メニュー持って行きます。」と、なかなか来ない。ちょっと冷たい感じがするなぁ。 ある筈ないよなぁ。民芸風の建物のここに来て、ラーメンはないよなぁ。 11時に、3回目の食事。 ざる蕎麦は更科風だったが、汁は椎茸出汁でイマイチ。 カツオか昆布だろ、普通は。 山葵の産地であるのにチューブ入りワサビか、本物くらい・・・。 薬味のネギも関西ネギかワケギのようで、そば湯も来ない。 行ってはイケナイ店に入ったかも。 表に出て、土産物屋を覗く。 蔓で編んだ花器が840円、中国製だよなぁ、今時蔓取らないよなぁ。 いいや、女房にと買う。 何だか疑り深くなったようだ。開発されて、ガッカリした影響かなぁ。 休みしか人が来ないのかなぁ。もっと、ちゃんとしないと、再度来ないかも。 日本中に増えたかなぁ、こんな感じが・・・。 駅までのバスの中では、道中1時間のほとんど寝ていた。 JR五日市線は、暖房入りでシートが暖かい。 車窓から「山芋」を探す。 家に14時半頃に着いた。筋肉痛になるかなぁ。 片付けや来週の「山芋掘り」の準備するうちに、眠くて早めに4回目の食事を取る。 以上
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